はじめに:なぜ生活リズムが心の安定につながるのか?
気分障害、特に双極症(躁うつ病)と診断された方にとって、日々の生活で最も難しい課題の一つが「気分の波」をコントロールすることではないです。「躁状態」や「うつ状態」への移行は、まるで予測できない天候のように突然訪れるように感じられるかもしれません。
しかし、この気分の波は、実は私たちの生活に深く根ざした「リズム」の乱れと密接に関わっています。この「リズム」を意図的に整えることで、気分の波を小さくし、再発を防ぐことを目指すのが、心理療法の一つである社会リズム療法(SRT:Social Rhythm Therapy)です。
SRTは、薬物療法と並行して行うことで、その効果をさらに高めることが科学的に証明されている、非常に重要なセルフケアの手法です。
社会リズム療法の基礎:2つの「リズム」を理解する
私たちの心身の健康は、主に二つのリズムによって支えられています。
1. 概日リズム(体内時計)
睡眠、覚醒、体温、ホルモン分泌などを約24時間周期でコントロールしている体のリズムです。このリズムのズレの代表例が、誰もが経験する時差ボケです。病気によってリズムが狂うと、夜眠れなくなったり、日中に活動性が低下したりして、気分の不調につながります。
2. 社会的リズム(生活のリズム)
私たちの日常生活の活動、つまり「いつ起きたか」「いつ食事をしたか」「いつ仕事や人と交流したか」といった社会的な活動の時間とパターンのことです。
SRTの理論では、仕事の開始、食事、人と会うといった社会的活動が、体内時計を調整するきっかけ(同調因子)となり、気分の安定に大きく影響すると考えます。例えば、友人との過度な交流による興奮が、夜の寝つきを悪くし、翌日のリズム全体を崩してしまうといった影響です。
SRTの目的は、この二つのリズムがズレないよう、日々の活動の時間を安定化・規則化することにあります。
SRTの実践:自分のリズムを「見える化」する
SRTを実践する第一歩は、ご自身の現在の生活リズムを正確に把握することです。これには、「社会的リズム指標(SRM:Social Rhythm Metric)」という記録ツールを使用します。
記録すべき「社会的活動」の重要項目
SRMでは、日々の生活における具体的な活動の「時刻」を記録します。
- 起床・就寝時間: 毎日同じ時刻に目覚め、床に就くことが最も重要です。
- 食事の時間: 朝食、昼食、夕食の時刻をできるだけ一定にします。
- 仕事・学校の開始時間: 社会的活動の始まりは、強力なリズムの同調因子になります。
- 他者との交流の強度: 他者との接触があった時刻と、その交流が自分にとってどれくらいの刺激(興奮度)があったかを記録します。(例:友人との長電話、家族との激しい議論など)
記録を続けることで、「〇曜日の午後から気分が落ち込む傾向がある」「この活動の時間帯がズレた翌日に気分の波が大きくなっている」といった、自分の気分の波と生活リズムの関連性を「見える化」できます。
安定したリズムを作るための具体的な3つの行動
自分のリズムの傾向が把握できたら、乱れやすい部分を意識的に調整します。
1. 「朝の光」で体内時計をリセットする
体内時計を最も強力にリセットするのは朝の光です。毎日一定の時刻に起きて、カーテンを開け、光を浴びましょう。起床時間を固定することが、SRTの最も基本的な実践となります。
2. 休日も「平日リズム」から逸脱しない
休日に平日の疲れを取ろうと、大幅に寝坊するのは禁物です。週末にリズムが崩れると、ソーシャル・ジェットラグ(社会的時差ボケ)の状態となり、次の週の気分の波が大きくなるリスクが高まります。休日でも、平日の起床・就寝時刻から2時間以内のズレに抑えることを目指しましょう。
3. 社会的刺激の「量」と「質」をコントロールする
喜びや興奮も、度が過ぎると気分を不安定にし、躁状態の引き金になりかねません。人との交流や趣味の活動は大切ですが、夜遅くまでの活動や、過度な興奮を伴う刺激は意識的に控え、適切な「活動量」を維持することが大切です。
おわりに:専門家との連携と持続可能な生活
社会リズム療法は、薬物療法のように「症状を抑え込む」アプローチではなく、「生活を整えることで病気の再発を防ぐ」という、根本的な安定を目指す手法です。
ご自身の病状や生活環境に合わせた最適なリズムを見つけ、実践していくためには、必ず専門家(医師や公認心理師など)と相談しつつ取り組んでください。自己判断で急激に生活を変えることは、かえって体調を崩すリスクがあります。
このSRTの実践を通じて、完璧な生活を目指すのではなく、「無理のない、持続可能な生活パターン」を見つけることが、長期的な心の安定につながる最も大切な一歩となるでしょう。

